在日1世のお祖母ちゃん
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在日1世のお祖母ちゃん
横浜関帝廟に初詣と天国のお祖母ちゃん
午後4時半。
再び横浜中華街に来ました。目的は横浜中華街名物の獅子舞いのパレードを見る為です。
3時から5時までと宣伝していたので、関帝廟に戻ってくる最後の 30分を見る予定でした。
ところが、横浜中華街に着いた途端に、「獅子舞い終わったね。。」というすれ違う人の声。
まさかとは思いながら関帝廟に行って見ると、獅子舞いは丁度終わったばかりという様子でした。
ガックリ。
じゃあ、初詣をしようと思い関帝廟に入ると、今日はいつもと様子が違いお線香を買う人のもの凄い長蛇の列が。。。
お線香無しでお参りする雰囲気も無く。。
しばらく呆然としてしまいました。
長い列を並ぶ勇気も無く、速効、諦めた私は、横浜中華街の獅子舞いパレードも初詣も、ズッコケ。。あれっ?
まぁ。。私の人生こんなものかも知れない
。。
と思いながら、お祖母ちゃんのことを思い出していました。
昨年の暮れに大好きだったお祖母ちゃんを亡くしました。
2年間入院生活を送っていたのですが、足が立てなくなってからは家族に迷惑が懸かるのを嫌い自ら病院を選んだ様でした。
お見舞いに行くと、お祖母ちゃんは必ず、「人の役に立て無くなってしまった。」と言っては嘆いていました。
戦時中、韓国から言葉も分からないのに19歳で家族と日本に来たお祖母ちゃんは、人の道に到達した人だと思います。
韓国では両班(ヤンバン・貴族階級)のお嬢様に育ったお祖母ちゃんは、誰に習った訳でもないのに、編み物とお料理が好きでとても上手な人でした。
日本での生活は、酷い差別と貧困の中、苦労ばかりの人生だったと思います。
その様な境遇の中でも、厳格で人としての心優しい育ちの良さを感じさせてくれるお祖母ちゃんでした。
いつも、韓国人としての誇りを持ち、私達孫にも多くを語らずそれを教えてくれた様に思います。
毎朝、ご先祖様に手を合わせていましたが、多くの悲しみや辛さを口に出せない中で、きっと手を合わせ祈りたい気持ちもあったのだろうと思います。
遠くに離れて会えなくなってしまった私の事をいつも心配していたと母が言います。
私もお祖母ちゃんの事をいつも思っていました。
元気な時に自分で韓国で作って用意していた純白のチマチョゴリを着たお祖母ちゃんの胸には、大きな蓮の花が咲いていました。
天国に行ったお祖母ちゃんの顔はとても綺麗で品があり、少女の様に可憐な雰囲気で驚きました。
ソウルから急遽帰ってきた末の妹が、大泣きした後、「お祖母ちゃんが天使になった。」と言った言葉が、今でも強く印象に残っています。
お祖母ちゃんはさまざまな苦労の中で、こういう時にはこの様に生きなければならない。。という人生を繰り返し重ねた中で、人の道を極め、天使に生まれ変わったのだと思います。
そんなお祖母ちゃんは、旧暦を大切にする人でした。
お通夜の準備の中、母や叔母が今日は旧では何日なのかと暦で確認していました。
お祖母ちゃんは旧暦を重んじる人だったので、法事も旧暦で行おうと話していました。
側にいた私は、ハッとしました。
旧暦かぁ。。。
その時、私の中のお祖母ちゃんの遺伝子が目を覚まし始めました。




























